ダニエル・マルタンさん Daniel Martin
20代で三ツ星レストラン.マキシムドパリの第一副料理長をはじめ、ホテルリッツでも腕を磨き、東京にマキシムドパリが登場した時には、総料理長として来日。その後はコルドンブルーパリ東京校の主任教授などを歴任。現在はダニエルマルタンフードコンセイユを主宰するとともに、料理学校を経営しフレンチの真髄を伝える活動をされています。以前ロシア大使館の横にあった隠れ家的フレンチレストラン・レスパドンの再開を期待しているファンは多いでしょう。
フランス料理・製菓協会会員
トク・ブランシュ・インターナショナル日本支部副会長
コンフェリー・ド・サープルコンテスト審査委員
フード・アジア・シンガポールコンテスト審査委員
氷の彫刻世界コンクール フランスチームメンバーとして参加 1989・1990年入賞
1990年 MOFフランス功労者最終ノミネート
Daniel Martin
ベルナール・アンクティルさん
Bernard ANQUETIL
ル・コルドン・ブルー代官山校の主任教授、日本校料理テクニカル・ディレクター。1975年に来日し、東京の仏料理店『シャルドネ』のシェフに就任。その後は自身の店を経営。1982年にフランス大使館においてミッテラン フランス大統領と昭和天皇の晩餐会に料理長として腕を振るったことは、あまりにも有名。そのときのメニューを再現していただきましたが、それはそれは素晴らしい料理でした。日本語も上手で優しい人柄にも人気があります。
農事功労章
アカデミー・キュリネール・ド・フランス
シェーヌ・デ・ロテイスール
コンフレールリ・デュ・サーブル・ドール
日本アミカル・デ・キュイジニュ・エ・パティシエ
フレデリック・マドレーヌさん
Frederic MADELAINE
フランスはノルマンディー出身の彼は、マドレーヌが本名。生まれ持ってパティシエになる定めでしょうか?地元のパティスリーで修行、パリ・メリディアンホテル、二つ星レストラン・ローランを経て、メルボルン・ミエッダス シェフ、パリ三ツ星レストラン・レスペランスのシェフパティシエを歴任。その後は、ダロワイヨ・ジャポンのシェフとして来日。彼のケーキに列をなした日本人女性は数知れず。2005年には東京・下北沢は井之頭通り沿いに自店「ル・ポミエ」を開店。また、2009年2月にはフランス政府から功績のあった人物に贈られる国家功労勲章「シェバリエ」を授賞。その後、麻布十番店、神楽坂店を開店。いずれも彼らしい品の良い店と評判です。
現在、社団法人東京都洋菓子協会・技術指導部委員を務める。
Patisserie Le Pommier
王・ウェイウェイさん
中国哈爾浜出身。
1994年、中国では最も若くして特級調理師となり、全国青年調理コンクールにも入賞。中国期待の星として東煤大酒店、銀河ホテル、成基ホテルの料理長を勤め、一流の調理師として活躍。
来日してからは横浜国立大学に入り日中の食文化について研究し、学業に精を出す傍ら文部省の留学生特別講師となり、日本人の子どもたちに中国の食文化を紹介してきました。
2002年には日本の調理師免許を取得するとともに、翌年には東京都ふぐ調理師免許も取得するなど、まさに努力家そのものです。現在は日本橋と原宿に「ワンちゃんの中華」レストランを経営。安くて美味いと評判です。
岩堀 重昭さん Shigeaki Iwahori
1940年房総の茂原で出生。地元水産学校で学んだ後、3年間は捕鯨船に乗って世界各国をまわったそうです。22才で北大路魯山人の愛弟子井上源太郎氏に調理を師事、魯山人孫弟子となり修行を重ねたそうですが、この孫弟子の称号を名乗れる方も限られているようです。その後は、伊東・熱海・箱根の名旅館、ホテルにて総料理長を勤めた後、現在は各地にて料理教室、各企業フードコンサルタント、食品開発顧問として幅広く活躍中です。資格は調理指導員免許のほか日本料理調理技能士という難しい資格もお持ちです。
(著書)「料理の神髄と飲める水を造った男たち」 創栄出版
神田 広達さん Koutatsu Kanda
東京は秋津に、地域に密着した人気スイーツショップがあります。
秋津の『秋』から『ロートンヌ』=秋(オートンヌ)という名前をつけたのは、地域に根ざした、愛されるお店でありたいとの願いから。オーナー・神田シェフは、22歳でフランスパリのチョコレートのワールドカップ「ジャンマリーシブナレル」で2位を授賞するほどの実力派。その後の活躍でも注目を集め続け、カリスマパティシエとして必ず名前が挙がるほどの人気です。赤いフェラーリのキャップがトレードマーク。美味しい菓子づくりの情熱と愛車F430への思い入れに心底脱帽です。
ロートンヌ